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ご苦労様でした。 [アフリカ]

南アでお世話になった小澤大使から離任の挨拶が来ました。
よくゴルフをご一緒させていただきました。普段は運転手付きの車ですが、土日には、カイラミカントリーをはじめ、色々なゴルフ場に自分でプリウスを運転して来られていました。

本当に気さくな方で、ゴルフ中も色々な話をさせてもらいました。また、60歳とは思えないほどの飛距離をR9を使って出されていました。
うっちーがの送別ゴルフにも参加してくれました。
本当にお疲れさまでした。

ではまた。

[在南アフリカ共和国大使館]離任のご挨拶(小澤俊朗)

3年3ヶ月間の南アフリカ駐箚(ナミビア、レソト、スワジランド兼轄)を終え、2月初めに離任致します。日本国を代表する特命全権大使として、忙しかったことや、苦しかったこともありましたが、全体として、公私にわたり、とても充実した日々を過ごすことができ、満足感を持って離任いたします。私ども家族は、大使館と関連政府機関の職員・家族と在留邦人の皆様の支援を得ながら、南アフリカで得がたい経験を多く積むことができ、幸せだったなと感じております。

今日、アフリカ、特に南部アフリカが日本でも注目されるようになってきました。振り返ってみると、転機は2010年だったと思います。この年にFIFAサッカー・ワールド・カップが南アで開催され、日本のサムライ・ブルーが大いに活躍し、私も本邦から来られた要人や皆様と共に精力的に応援しました。この年は、日本と南アフリカが公的関係を樹立してから丁度100周年にあたる年だったので、当地と日本で100周年を記念するいろいろな文化事業が行われた年でもあります。100周年記念のレガシー・プロジェクトとして、南アの篤志家とCCIJ会員企業の協力を得て、プレトリア大学GIBS内に、日本研究センターを設立することもできました。2011年には、長田所長代行が日本研究センターでいくつもの行事を実行されるようになったことを見て、私は欣快であると同時に、日本研究センターという資産を今後大いに発展させていってほしいと願う次第です。

東洋経済誌は、2010年新春号でアフリカ特集を組みました。この年にマッキンゼー社は、「動き出したライオン群」というアフリカ報告をまとめ、世界各国も自立的発展過程に入ったアフリカ諸国を再評価するようになっていきました。私は、僭越ながらも、「アフリカは残されたフロンティアである。日本という国は、フロンティを攻め続けないと衰退していくことになる。」と声だかに主張し、関係企業と当局の奮起を呼びかけました。これがどれだけ功を奏したかはわかりませんが、2010年から2011年にかけて、日本の企業進出は目を見張るような進展がみられました。ビジネス・フレンドリーな大使館であると自称していた者として、とても嬉しく思った次第です。各種インフラ開発が必要な国・地域であるので、ビジネス・チャンスがゴロゴロ転がっているという印象を持ちます。今後とも、大いに攻め続けて欲しいと期待しています。

南アフリカは、世界史上稀有なことですが、対話を通じて政治社会革命を実現した国です。立派な民主国家となりましたが、社会経済を見ると、一部黒人富裕層が出現したとはいえ、ジニ係数0.7に象徴されるように、びっくりするほどの所得格差がある国です。このため、犯罪水準が高く、日本では警戒する声が強くあります。実際に、在留邦人で被害にあわれた方々もいらっしゃいます。私は、「自宅の塀は隣の家より高くする」、「外出するときはスキを見せない」ことを呼びかけています。少し鬱陶しいかもしれませんが、気を付けることによって、南部アフリカの美しい自然と、魅力あふれる多様性を満喫できるようになると考えます。幸い私どもは、フルにエンジョイすることができました。

私どもは、短期間日本に立ち寄った後、2月下旬にウィーン政府代表部にまいります。真夏の南アから真冬のオーストリアに行くので、南ア生活のことをさぞかし懐かしく思うに違いないと予想しています。直面する課題、実現すべき目標等は随分と違いますが、日本国と国民の利益増進のために努力するという点では変わりはありません。福島原発事故、イラン、シリア、北朝鮮等の問題に忙殺されると思いますが、南部アフリカで何が起きているかは、できる限りフォローしていこうと思っています。

皆様のご健勝とますますのご発展を祈念します。

小澤俊朗
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